Bio
フードライター/ライター
北海道室蘭市生まれ。札幌の出版社を経て、独立。
取材先は厨房、畑、海、牧場へ。料理や食材の「おいしさ」の背景に着目し、料理人や生産者の思いを通して、北海道の食の魅力を伝える。
・執筆(著書、新聞・雑誌の連載、企業広報媒体など)
・商品開発等のアドバイザー
・企業や団体、生活者に向けた講演、小・中学校の道徳授業の講師
※詳しくはWorksをご覧ください
ご挨拶の代わりに~亡き父との思い出
私は室蘭のすし屋の娘に生まれた。亡き父のことでよく思い出すのは、ふやけた指先と分厚い掌だ。
捌き、剥き、締め、煮含める。
長い仕込みの時間も、つけ場に立つ間も、常に水をさわるすし屋稼業。
働き者の指先や掌に感謝しながら、時には反発しながら育ててもらった。
私自身、生産者や料理人といった、つくり手の思いを書く仕事を選んだのは、やはり調理場が身近だった環境が影響しているのだと思う。
味わいの中には良い風景がある。その眺めが、たまらなく好きなのだ。
昭和30年代、東京で修業した父はこだわりの職人だったが、店には街場のすし屋の気楽さがあった。
自分の好きなものを好きなだけ、好きなように食べられるのが街場のすし屋の醍醐味。
普段の食事、つまみで一杯、シビアな仕事の話、賑やかな宴会など、すべてがここで済む。だからこそ、店にはさまざまな風景や物語が広がっていた。
いつも会社帰りに立ち寄る常連客は、休日に家族を連れてやって来た。
最初は「さび抜きで」といっていた子どもが、いつの間にか制服姿となり、大学に合格。
成人した最初の一杯をここで酌み交わし、就職が決まったと顔を見せてくれる。そのうち孫ができ3世代で覗いてくれる。
すし屋は日常の空間でもあるが、ご馳走を囲むハレの場所にもなる。
両親はカウンターの内側で、お客さまの大切な時間に寄り添ってきた。何て幸せな仕事なのだろうと思う。
ある客は毎週土曜にビールを2本だけツケで飲んで帰る。
給料日の後の土曜に清算に来て、わずかな釣り銭は店の若い衆の小遣いとなった。
ある家族は、「うちのお父さん、夕方になるとお宅のカウンターに居るのが好きだったから」と、故人を偲んでお盆には必ずすしを取ってくれた。
こんな風に両親から聞かされた思い出話は尽きない。
そう考えると、街場のすし屋とは不思議な商売だ。
飲食店でありながら、飲み屋でもある。
すしに刺身、ちょっとした一品しかなく、酒の種類だって限られる。
それなのに、その人の気分や懐具合、一緒に行く相手によって、上手に使い分けをしてくれる。
街場のすし屋とは、心地よくカスタマイズできる、それぞれの居場所なのかもしれない。
父は入院する前日まですしを握り、幸せな職人人生を全うした。
体はすっかり細くなってしまったが、今際の際に握った掌は分厚いままだった。
※雑誌「O.tone」の鮨特集に寄稿したエッセイに加筆修正しました。